ダイズ・ダイアリー [Dai's Diary]

ダイズ・ダイアリーでは、何気ない日常とサイエンスのコラボレーション、英語記事、様々な社会問題に関して、筆者なりに論じています。大豆は畑の肉と言われるように、人間の血となり肉となります。ダイズ・ダイアリーも、あなたの知となり肉となれるようなブログを目指します。

【メディアのあり方】受動的メディアの飽和する現代

ダイズダイアリーからこんにちは。

ダイスケです。

 

突然ですが。あなたはどんなメディアに囲まれた生活を送っていますか? 

テレビ、漫画、YouTubeTwitter、実用書、講義、新聞、Facebook

などなど、人それぞれメディアを活用していると思います。その人の考えや趣味嗜好なんかでも、利用するメディアは異なってくると思います。

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今回のブログでは、私がメディアに関して常日頃思っていることについて綴ろうかと思います。

 

それでは早速、Let's Go!!

 メディア論

まず、メディアという言葉の定義についてです。メディアとは、

手段。方法。特に情報媒体。

となっております1)。つまり、

  • 情報の仲立ちとなるもの
  • 情報と私の間に介在するもの

がメディアだといえるでしょう。情報の媒体となればよいので、例えば自然、木、昆虫だってメディアだと私は考えています。彼らを通して、植生や昆虫の生態といった情報を得られます。

自然は、五感を刺激する良質なメディアといえるでしょう。

メディア、すなわち情報媒体のトレンドとしては、

  • 書籍や新聞等の紙媒体から、電子書籍等の電子媒体への移行

が挙げられます。

 

3S政策とはよく聞く話ですが、今回の話に関係するのはスクリーン(Screen,映画)です。

 

特に、電子媒体の得意とする"映像情報"は、非常に強力な情報媒体です。時に、人間の感情にすら介入し、支配的に働きます。よく映画のCMで、映画館の風景として視聴者の多くが泣いたり、反対に笑ったりしている描写が放送されますね。

 

よくよく考えてみると、かなり奇妙な光景ですよね。普通は、、

  • いかに優れたリーターでも、あそこまで赤の他人の一体感を出すことは難しい
  • いかに人望の厚い学級委員でも、1人や2人は合唱コンクールの練習をさぼる

って感じです。

 

しかし映像情報では、音、視覚を支配することで、脳の中で起こっていることの均質化が成功しているのです。現在、これに似たことが世界でも起こっているのでは、と感じています。

 

※一応お断りしておきますが、私は映画アンチでもなんでもなくて、むしろ大好きな部類です。今回は、メディアの力をお伝えするべく様々な例を出しています。

 能動的メディアと受動的メディア

旧来、人類は紙媒体というメディアを活用して、文明の発展を遂げてきました。

文字の発明からグーテンベルク活版印刷術、プリント技術の発明と、より多くの人々に情報が行き渡るようになりました。ここまでのメディアを全て、能動的(Active)なメディアと分類します。なぜなら、、

  • 自分でその情報を求めて、自分で読み進めることでしか目的は達成されないから

です。"繙く(ひもとく)"という言葉には、"紐を解く"意味の他にも"書物を読む"意味が存在します。

"一次元的な情報の羅列を頭の中で復元する、高次元化する"

ということを連想させますね!!! 素敵な言葉だと思います。

 

一方、テレビやインターネットが普及してからはオーディオや動画のような受動的(Passive)なメディアが増えたように感じます。ここで、受動的と称したのは、自分はその情報を求めて行動を起こさなくても、情報が流れ込んでくるからです。

 

補足として、講義やアクティブラーニングに関してはこの限りではありません。確かに、聞いているだけで情報が流入してきます。受動的メディアとの違いは、自分自身が参加しているという主体性を伴い、また講義の内容以外にも先生・教授の人となりや表現方法についても学ぶことが出来ます。

 

ここで、現実世界について考えてみます。どうでしょう。受動的メディアが一昔前に比べて圧倒的に多くなったように思いませんか?

  • 街を歩けば特大スクリーン
  • 電車の中でもディスプレイに表示される商品のCM
  • 家に帰ればテレビ

必要最低限の能動的メディアしか求めなくなった人が増加したからでしょうか。となると、市場原理には一応基づいていますね。

 

では、本当にそれで良いのでしょうか。受動的メディアの功罪について考えます。

 

能動的メディアに比べて、受動的メディアの方が労力を費やさずにわかりやすく長時間、情報を得られ続けます。省エネルギーで大量の情報を得ることが出来る点については"功"ですね。

 

しかし、受動的メディアに画一化してしまうと、様々な弊害("罪"の部分)を生じると私は危惧しています。その弊害について考えてみましょう。結論から言うと

  • その分かり易さは我々の考える力を奪います。

文字に比べて視覚聴覚的な情報量はめちゃめちゃ多いです。つまり、すでに考える必要が無いほどに、情報が伝達されてくるのです。自分の意思を相手に伝える際には非常に強力なツールですね。しかし、自身が利用するときに、受動的メディアに偏りすぎるのはどうなんでしょうか?

 

考える作業をないがしろにさせるメディアが氾濫する昨今。考える、という作業を苦手とする人間が増えていく。

社会としてはますます、自分の頭で考えられる人が求められています。需供バランスが崩れつつあります。

 

今再び、メディアについて見直し、能動的メディアの恩恵を受けませんか?

 おわりに

今回は、メディアについての私の考えをお話してきました。決して受動的メディアを否定しているわけではなくて、そのバランスが大切であると思うのです。今後もメディアについては書いていこうと思っています。

 

自身の考える力をつけるべく、もう一度メディアを見直してみませんか??

 

最後まで読んでいただきありがとうございます!! もしよければ読者登録、コメントお待ちしております!!!

 

それじゃ、まったね~。

Carpe diem

 References

1) メディアの意味とは? 広告・コミュニケーション・情報Weblio辞書