ダイズ・ダイアリー [Dai's Diary]

ダイズ・ダイアリーでは、何気ない日常とサイエンスのコラボレーション、英語記事、様々な社会問題に関して、筆者なりに論じています。大豆は畑の肉と言われるように、人間の血となり肉となります。ダイズ・ダイアリーも、あなたの知となり肉となれるようなブログを目指します。

【大人と子供 (Part2)】大人って何だい??

ダイズダイアリーからこんにちは。

ダイスケです。

 

このブログは、前回の続きとなっております。まだご覧になってない方はこちらから。

dsukehello.hatenablog.com

 今回のブログでは、大人と子供の違い、子供が大人になるときどんなものを得てどんなものを失っていくのか、私にとっての理想の大人像について考えます。最後の章では、子供が大人になるために必要な"教育"についても触れてみました。

それでは早速、Let's GO!!

 大人と子供の違い

前回から長々と続き、やっとここまで到達しました。大人と子供の違いについてです。

私の考える違いの要素を並べてみると、次のようになります。

  • 自由と責任
  • 経験と知識
超端的。単純明快。めちゃめちゃ分かり易いでしょう??笑 割と一般論でも言われていることなので、オリジナリティには欠けますが、私は"子供と大人"の違いといったら、この要素が思い浮かびます。先ず前者についてです。
 
赤ちゃんは、幼稚園・保育園へ入園し、小学校・中学校という義務教育を終え、高校生、大学生、いずれは社会人になっていきます。少なくとも、今日の日本での、ごく一般的な進路であるように感じます。このように集団・環境が定期的に変わることで、自分のできることが徐々に増えていきます。法的にも能力的にも自由が増えていくのです。
 "20歳になったからあなたは成人・大人!!"
という非連続的な変化ではなくて、環境を移り、色々な人と出会い、やがて大人になっていきます。なので、大人と子供の境目が曖昧であるが為に"大人と子供の違い"を難しくしている要因なのでは、と考えています。そこで、、、
一般的な大人に言える子供との相違点を考えることで、ある程度明確な区分ができると考えました。
 
徐々に大人に変化するに伴い、自由に物事を遂行できるようになります。しかし、それに伴って生じるのが"責任"。その人がやった"行為の責任"は、その人にあります。よって、自由度が増すに伴い、責任も生じることが言えそうです。
 
 
続いて、後者の"経験と知識"についてです。これは自明の理ですね。こちらは少しずつですが着実に、年を重ねれば蓄積されていきます。経験と知識を活用して、正確な判断ができるようになり、自身に課せられた責任を処理し、より自由な行動ができるようになります。"亀の甲より年の功"ですね。やはり年上の言うことは一度受け止めて考える必要があると感じます。そこで自分なりにその情報を消化することが大切です。
 
以上の議論をまとめると、
"知識や経験が豊富で、自分の責任をしっかりと果たした上で自由に活動できる人間"
を大人と呼べそうですね。ぼんやりとした言い方にとどまってしまいました。大人と子供の違いを明らかに!!!なんていっといて、自分の今の力量では、ここまでしか表現できませんでした... 非常に重要なテーマなので、今後も引き続き考えていくつもりです。

 理想の大人

それでは続いて、私の"理想の大人"についてです。私は、他の人にくらべて、幅広い業界の人と今まで接してきたと自負しております。そんな、ダイスケの人脈を顧みた時に、"人生を精力的に楽しんでいる人"の共通項が見えてきました。

"知識や経験が豊富で、自分の責任をしっかりと果たした上で自由に活動している人間"

ってあれ? さっきの文章とほとんど同じじゃね? そうなんです。私にとっての大人の理想像は、私が考える大人と子供の違いを満たしていれば、それで良いのだと、このブログに文章化をして気づきました。つまり、"人には人の理想の大人があって良い"ってことですね。

 

考えてみれば当然かもしれません。大人になればなるほど、経験や知識も豊富になり、世界を良く見渡した上で、自由に行動できるようになります。楽しくないわけが有りませんね。

二足歩行をしていた人間が翼を手に入れ、自分の行きたいところへいける

ってくらい楽しいことだと思います。逆に、人生を謳歌していない人の特徴としては、

  • 知識や経験、自由度の増加よりも責任の増大に注目している人
  • 経験が豊富な故に、生活でおこることに新鮮味を感じられない

といったことが言えます。まず、前者については私の"大人の定義"からは外れてしまっています。責任に注目するということは、責任にしこりを感じている、完全に消化を出来ていない、ということだからです。

後者については、確かに"日々で感じる刺激"の殆どは経験済みですよね。そういった意味では、子供の時に得られた物事の"新鮮味"や"驚き"は、子供の時に比べて多少失ってしまうかもしれません。しかし、"この人すげえなあ"って人は大体、いつも新しいことに挑戦しているので、普通の人に比べて"少年時代"のような日々を過ごしているように感じます。大人は、望めば環境を移れるし変えられます。

 

2013年に101歳のお歳でお亡くなりになった、伝説の教師としてうたわれた橋本武さんはとある番組で、

Q. 100歳になったらやってみたいことはありますか?

A. ありすぎて困っています!!

という質疑応答をしていました。本当に尊敬です。1つ共一生青春ってそういうことなのかな(笑)。

 

私は、責任はしっかりと果たした上で、経験や知識を生かして自由なことが出来る大人になりたいな~。

おわりに

 以上、前後編にわたる"大人と子供"についての私の考えでした。"理想の大人像"の章で書いた通り、私は

"自分の責任を把握した上で、自分の好きなことを存分に楽しんでいる人"

としての大人を目指して頑張ります!!!

 

最後に、子供から大人になるために必要不可欠な"教育"について一筆。

大人が子供に教育するという"一方向"の教育が浸透した日本では、特に若ければ若い程に、子供の受ける大人からの影響は計り知れません。少なくとも、小学校や中学校ではその大人の"考え方・世界"の中に、子供たちが生きてしまうということですね。なので、この国では、もっとも~っと小中学生の子供たちの教育を充実させるべきだと考えています。"一方向"ではなく、より"双方向的"な。教育を意味する英語"Education"は、引き出すという語源から来ています。

 

一方向的に押し付けるのではなくて、子供たちの本来持っているものを引き出していくのです。そうすれば、その人なりの理想の大人像に向かって、人生を歩んでいけると感じます。ここで、あえて高校・大学と書かなかったのは、これくらいの年齢になると、外へのコミュニティーに自分から飛び込んでいける"脚力"が養われてくると思うからです。

国家100年の計は教育にあり

良質な教育は良質な国家をはぐくみます。教育は、種のように芽吹き花咲き実がなるまでに時間を要します。種をまいてから、かなりの時間が経ってから恩恵が得られます。教育とはそういうものです。せっかちにならずに、未来へ投資することが、将来の日本というアイデンティティを存続させることに繋がると、私は考えています。

f:id:dsukeHello:20181107215934j:plain

 以上、"大人と子供"についてでした~。あなたの気分がめちゃめちゃ良くて、なんかボタンを押してぇな~って気分だったら、良ければ読者登録お願いします!!!

ここまで読んで頂きありがとうございます。感謝です。

それでは、まったね~!!

Carpe diem

 

P.S. ↓バナークリックで、応援よろしくお願いします!!↓


にほんブログ村