ダイズ・ダイアリー [Dai's Diary]

ダイズ・ダイアリーでは、何気ない日常とサイエンスのコラボレーション、英語記事、様々な社会問題に関して、筆者なりに論じています。大豆は畑の肉と言われるように、人間の血となり肉となります。ダイズ・ダイアリーも、あなたの知となり肉となれるようなブログを目指します。

当たり前を疑う力~コペルニクス的転回~

おはよう、こんにちは、こんばんは。
ダイスケです!!

 

今回のブログテーマは、"当たり前"について。毎日あなたは、あなたの当たり前の世界の中で活動しています。
  • ガラスのコップをテーブルから落せばコップは割れる。
  • 会議に遅刻すればお咎めを受ける。
  • 電車中で電話をすると周囲から白い目で見られる。
こんなこと当たり前ですよね?
人間は、自分の中での"当たり前"を行動指針として、日常生活を送っているといえるでしょう。これは前回の、自身のいる世界は色眼鏡を通して見た世界であるという議論の延長です。前回の記事をご覧になっていない方はこちらから。

dsukehello.hatenablog.com

 あなたの生活を支配する"当たり前"。その"当たり前"が時として、新たな一歩を踏み出しにくくしてしまいます。つまり、"当たり前"について理解することで大胆な一歩を踏み出せるようになると、私は考えています。

それでは当たり前について、考えていきましょう!!!

 

 "当たり前"ができるまで

まず、"当たり前"の形成にフォーカスを当てます。
我々人間はこの世に生を受けてから、やがて赤ん坊として、この世界に生れ落ちます。
その時の我々が、


僕を生むときお母さん痛かったでしょ!!だよねぇ~( ̄▽ ̄)


みたいな当たり前の事を言うはずが有りません。何故なら、赤ん坊は当たり前など知らないのですから。言葉話せる前提ですけどね。"当たり前"の形成は、社会生活を営むことで徐々に形成されます。育った環境に左右される"当たり前"は文化ということもできるのではないでしょうか。

当たり前の形成は
  • 行動を起こし[Do]
  • 行動による応答を確認し[Check]
  • それを受けて行動する[Action]
のサイクルから形成されます。そうです、当たり前が形成される前は、PDCPサイクルの計画[Plan]のための経験が備わっていないのです。なのでDCAというサイクルを回します。Pが抜けるからか、
子供は奇抜で天才的な発想をしています。いつも大人を楽しませます。

脳科学的には、報酬系的[条件づけ的]な営みです。行動を起こしたことによって、自身に良い応答を得たか、悪い応答を得たかで次の行動を決めます。

 

この時、脳神経細胞では、非常にダイナミックな現象が起こっています。ニューロンニューロンの架け橋、軸索の周りを脂質で構成されるミエリン鞘(その名の通り軸索の鞘)という絶縁物質が包み込みます。電気化学的信号によって思考が生まれることは聞いたことがあると思いますが、ミエリン鞘が介在することで電気信号がその間をジャンプします。このサイクルが繰り返され、ある現象が起きた時にある行動が強化されるわけです。"当たり前"とは、そのような脳の営みの結果であると言えるでしょう。

 むかーしむかし、まだ我々人類が狩猟生活をしていた頃、以上の機能は生存に関わる程重要でした。
この川を渡るとピラニアに噛まれる。
という経験は、未来の自分の体、ひいては生命を守ります。当時はそれで十分だったんです。人間同士の言語を介した意思疎通が活発となり、最終的には陳述記憶および非陳述記憶から、当たり前という概念を発明しました。

自身の経験や他社の経験に立脚している、ということが重要なポイントです。

 

しかし、農業の発明により文明が発達をはじめ、人間関係が複雑になりはじめます。
科学技術が生まれて、今日に至ります。我々が生活しているのは高度に発達した社会です。"当たり前"はやがて、我々を拘束するようになり、時にデメリットを生じさせてしまうようになります。ここで、パラダイムシフト・当たり前を疑う力が必要になります。

 

 当たり前を疑う力

 今日では、当たり前の衝突が様々な対立を引き起こしています。やや大げさな言い方をすると、

当たり前≒信念

と読み替えてしまっても良いかもしてません。

  • トイレのカバーを上げたままにするか下ろすかで口論する同居カップ
  • 離婚後の親権争い
  • 国家間の紛争

非常に些細なことから、世界規模の大きなことまで、この"当たり前"の衝突による紛争は、たった今、この時間にも続いています。トイレカバーに関して争うカップルを例にとると、Aさんはトイレのカバーを閉めることが当たり前の環境で育ったのに対し、Bさんはカバーを開けっ放しにすることが当たり前の環境で育ったとします。同居して初めて、当たり前の齟齬に気づくのです。

 

そう考えると、当たり前の齟齬を克服してこそ、調和が生まれるとも言えるのではないでしょうか。今ではその議論が全球的になり、文化・国家単位の齟齬が生じているわけです。これを克服してこそ、初めて人類が一致団結をして宇宙を目指す時が来るのでは、と妄想してしまいます。

 

まずは"当たり前による紛争を克服するためには、大前提としてお互いがお互いの当たり前という色眼鏡を通した世界を生きている"という共通認識を持つことが大切です。

 

それでも譲れないのは百も承知です。

お互いがお互いの当たり前を持っているという一種寛容の心を持ち、お互いにとっての妥協点を見つけていく、というのが非常に重要であると感じます。

 めちゃめちゃ話が逸れました。

 

つまり言いたいことは、自分の見ている世界がみんなの当たり前ではないし、絶対的ではないという謙虚な姿勢を持つことが非常に重要である、ということです。

これはサイエンスにおいても言えます。

 

 コペルニクス的転回から学ぶ

 今回は、非常に有名な例、天動説から地動説にパラダイムシフトがなされたコペルニクス的転回についてです(有名な話なのでいきさつは割愛)。この例は、人間の考え方ひとつに、この大空が動いていたものを

この大地を動かすものとしてしまうほどの

壮大な力が秘められていることを物語っています。

これは、サイエンスの世界では割とよくあることです。

従来と異なる、すなわち当たり前に反する考えは排除されようとします。しかし論理的根拠がそろうと、みんなの見ていた世界がガラッと変化してしまうのです。

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先日ノーベル賞を受賞した"本庶佑"さんの、生中継で放った言葉を今でも鮮明に覚えています。

教科書を頭から信じるのではなく、疑うことが大切である。

サイエンスするものとして、肝に銘じておこうと思います。当たり前を疑うことが、新たな世界を創造するのですから。

 おわりに

今回は、当たり前の危険性と疑う力について議論してきました。

 自分の当たり前を疑う習慣を身に着け、物事の本質を見極める癖を付けることが大切ですね。

 

今、目の前に横たわるあなたの当たり前を、一度疑ってみませんか?

そうすると、もしかしたら新しい世界が開けるかもしれません。

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以上、"当たり前を疑う力~コペルニクス的転回~"でした。

まったね~

 

Carpe diem