【勉強とお勉強】似て非なるもの ~キラリティーから学ぶ~
Good Morning, Hello, Good Evening!!
ダイスケです。
今回考えるテーマは、、、ズバリ!!
私が考える"勉強とお勉強"の違いについてです!! 両者字面がほとんど同じだし、あまり勉強自体については深く考えたことが無い方もいるのではないでしょうか。正直なところ、このテーマについては16歳くらいから考えていたことで、私の大きな関心事となっていました。
何故勉強について深く考えさせられたか。やっぱり高校受験が大きかったですね。否が応でも勉強みたいな風潮がありましたし"考えざるを得なかった"というのが正確な表現かもしれません。世間でいう受験戦争に敗れ(即ち第一志望に不合格し)、少し落ち着いたタイミングが16歳だったのかもしれませんね。
今回は、そんな私にとっての"勉強"と"お勉強"についてお話できればと思います。特に、今学生をしている人やその親御さんと一緒に考えていきたいです!!!それでは早速Let's Go!!
"勉強とお勉強"の違い
それでは結論から。私なりの定義は次の通りです。
- 勉強: 能動性の伴う学習作業。自発的に行動することで生じる学び。自分の経験に基づく学びを含む。
- お勉強: 受動性の伴う学習作業。テストのため、成績の為に半ば強制的に行う学び、のようなイメージ。
今の自分が言語化してみると、こんな感じになりました。私は、両者の決定的な違いは主体性にあると考えています。もっと言うと、"勉強"の求めるところは自身の成長、"お勉強"の求めるところはスコアや学歴の表面的なもの。
語弊を避けるために捕捉すると、例えば、、
- 上司から"Aが正義だからAをしろ"と言われてAをやる。
- 自発的に行動し、自分の頭で考えた結果、Aが正しいと判断しAをやる。
両者、Aを取っていることから成果主義の観点からは同じですね。しかし、そのプロセスには大きな差異が見て取れます。前者は"言われたからやった"の典型的なお勉強ケース、後者は"結果がどうであれ自分なりの判断を下した"という勉強ケースです。
なんとなく、私の言いたいこと伝わってきましたかね。伝わってるか不安なところもありますが、議論を進めます(強引)
人生勉強
この言葉での勉強は、"勉強"ですか? それとも"お勉強"ですか? さすがに机に向かってカリカリと、言われたことをやるのが人生だとは思いたくありませんね(笑) でも、私は
人生お勉強
と履き違えて、子供に教育を施している親が、今この日本に何人いるか、ということを考えてしまいます。
ここで、唯一"お勉強"をフォローするならば、
- "お勉強"の過程で効果的な、自分だけの情報収集、蓄積メソッドを構築できる点
- 嫌いなことでも良く知ることで好きなことに変えられる点
は良いことだと思ってます。
少し私の家庭でのお話を挟みます。我が家の教育方針を端的に表すと、
やりたいことをやる、放任主義。ただし一線は越えないように!!
みたいな感じです。勉強やりなさい!!なんて言われたことはありません。むしろ最近は、勉強しすぎだから休んで遊ぼう、みたいなことも言われる始末。勉強できることは、別に偉いことではありません。好きなことを素直に好きだと思ってやる、ということがよっぽど偉いことだと思います。この教育方針は、未来の我が子(できるかな?笑)にも実践していきたいと思っています。
私は偶然、"学ぶ"、"知的好奇心を満たす"という作業が好きだったので、"お勉強"もそこまで苦ではありませんが、もし体を動かす作業が本当に好きだったら、本気でそっちの道を目指していたと思います。
それでは、"勉強"と"お勉強"。両者を履き違えた現状について、私の解釈を交えて説明致します。
両者を履き違えた現状
日本全体には、学歴至上主義のような考えが、どこかぼんやりと蔓延っているように感じます。なんでだろうか。その1つとして、日本は高度経済成長と激しい受験戦争を経験したことが考えられます。当時の日本では、
- 人生の幸福度を高める=大手企業に入社する
- 人生の幸福度=安定した生活
のような共通の価値観が根付いていたように思います。ここで、大手企業に入学するには、"お勉強"に必死になって、厳しい受験戦争を勝ち抜く必要が有りました。ここで勝ち抜けば、それなりの生活が保障されていました。
でも、、、
時代、だいぶ変わりましたよね? 大手企業と呼ばれる会社は、続々と経営不振が発生し、安定した生活も保障されなくなっています。第一、安定した生活と幸せな人生を結ぶとはなんと安直な、とも感じますけどね。よく聞く安定した生活って何だしまじで(笑)
インターネットの普及と共に、今の日本はグローバル化の波に巻き込まれ、諸外国に後れを取っているのが現状です。
"世界で第2位の経済大国"という肩書は陳腐なものになりました。
こう感じるのは私だけでしょうか? もちろん、巷で言われる有名大学には、めちゃめちゃ面白いやつが一定数はいることも否定しません。でも、そんなの有名大学に限った話じゃありません。別に、お勉強を出来ること、有名大学に行くことが偉いわけではないのです。置かれた環境にて、全力で好きなことをやる。好きなことをやり続けて、いつかは自分で環境を動かすほどの実力を手に入れる。その方がよっぽど今の社会を生きていく上で役に立つ"勉強"ではないのか、と思います。
だから、やりたいことが有って○○大学に行く、といった方がよっぽど健全だと思います。そして、落ちたからって、くよくよ引きずらない。"ご縁が無かった"くらいに潔く受け止める方が、よっぽど次の一歩を踏み出しやすいと思います。口で言うのは簡単かもしれませんが、"全力を出し切った"と思える人の切り替えは早いことも事実です。
生体触媒と光学活性の観点から
今回のブログでは、"勉強とお勉強"という字面・見た目のそっくりさんを扱ったので、有機化学ではおなじみのそっくりさんについてお話します。
鏡像異性体、理系の皆さんは既にご存知ですよね?? 物理的、化学的な構造は全く同じで、唯一異なるのは旋光度に代表される光学活性。
図の示す通り、鏡に映したような関係であることから、このような対の異性体を"鏡像の関係にある"と言ったりします。Blogの題にある"キラリティー"とは、
三次元的な広がりをもつ事物は、その鏡像とは決して重ならない
という性質を意味します。
しかし、驚くべきことに、このそっくりさんたちを、私たちの体の中では明確に区別しています。これ、まじですごくない? 生体触媒が好例※)。鏡像関係をL体、D体と区別しますが、我々人間は"L体アミノ酸だけ"で成り立っています。
一見似ているのに、使い物になるのはL体だけなんです。
この記事でも"勉強"と"お勉強"という似たやつらが登場しました。では、我々の人生において使い物になるのは、どちらでしょうか?
※)生体触媒: 代謝(=体の中での化学反応)を効果的に進行する物質。
おわりに
いかがでしたか? 勉強とお勉強について、皆さんはどのように定義しますか?
最高なのは、もちろん第一志望に受かることですね。でも受かること以上に重要なのは、"お勉強"ではなく"勉強"を重ねることで、幸せな人生を送ることだと思いませんか?
この記事は主に、たった今受験生の皆さん、そしてその親御さんをターゲットとしています。もし、この記事を読んで、考え方が少し変わったならば、幸甚です。
最後の最後に、受験に落ちてしまった人へ、受験に落ちた人から送るメッセージ。
(関係ない人は読み飛ばしてもらってOKです!!)
その学校に落ちたらなんなの? 落ちたら落ちたなりに、落ちてみないと分からない世界があるというもの。落ちるって表現も、なんか良くないね。ただその大学にご縁が無かっただけ。 学歴が欲しかったの? 違うなら、学歴コンプレックスなんて糞くらえ。 その大学にしかない学部があった? そこへ行かないと、本当に自分のやりたいことはできないの? そこでしか学べないことなの? その道で有名な先生がいる。じゃー入学しないとその先生には会えないんか?
自分のやりたいこと、学校とかいう狭い世界に縛られてたまるもんか、って思いませんか?
今回も、あっつあつの記事が完成した。今度は、すこし気の抜けた記事でも書こうかな~、なんてことを考えているのでした。ばいばい!! Carpe diem